「超人と和文化」

日本の伝統文化、「道」には、
次元上昇へと導く要素がたくさん含まれています。

そして、次元上昇した超人は、和文化の枠を超えて活躍します。
超人は、自然体で、無駄な力が入っていないので、
囚われも少なく、自由な発想で行動するのです。

超人ワンダーランドでは、和文化の体験を中心に、
しかし和文化にこだわることなく、
世界各地の、さまざまなジャンルの講座や作品を提供してゆきます。
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「修行するということは。」
 (by 出口煌玲・龍笛奏者・作曲家)


剣術や柔術をはじめとする武芸歌舞音曲など遊芸茶道・華道・書道・や絵画にいたるまで、
表現の種類は異なれど、根本的に通じているものがあります。

いずれの分野でも、大抵、何世代もの時を経て伝えられている「型」を修練します。

まずは「型稽古」、私はその意義を、こう捉えています。
身体をハードウェアとすれば
「型」は、OSとも言え ソフトとも言えます。

多くの人は、「型」をソフトとして学んでいるかと思います。
これは「型」をテクニックとして身につけようとすることですね。
これでは、単に時代遅れの形骸化したテクニックにすぎず、
刻々と変化する情勢に太刀打ちできません。

「型」が「OS」であることを見出すことができれば、
時代を超え千変万化に変化する状況にも通用する威力をもつ
「達人」への道を歩むことになります。

「型」を学び、繰り返し修練すること。
それは「達人」へ向かって、アンインストゥールとインストゥールを繰り返し、
心身のバージョンアップをし続けることと言えるでしょう。

私は、「達人」を「選ばれた特別な人、特殊な人」と見ることをやめようと思います。

確かに。常人には不可能な身体が変形するくらいの命がけの修行し、
生き残った人もいます。
一方、淡々と自然体で自分の仕事を研究・工夫を長年続けているうちに、
そう呼ばれる人もいます。

「達人」を、「もともと備わっている人間の能力を正しく発揮出来る人」と考え、
「究極の普通人」と考えることも出来るのではないか?と思いました。

というのは、 「型稽古」というのは、パワーやテクニックを付け加えるのではなく、
「無駄・ノイズ・力み・邪心・心身のノイズ」を一定の型を繰り返す中で発見し除去する、
つまり削る稽古という面が主のような気がします。

そして、マイナス要因を削り除去すればするほど、本当に必要な力や能力が顕在化する。
そういうシステムだと思います。
それが、日本の文化の本質の、一端ではないでしょうか?

私達は、生まれ、子供から大人に成長する間に、
ポジティブなものもネガティブなものも沢山身につけます。

その時、その時を切り抜ける間に知恵もつけば、癖もつき、
いつしか歪みとノイズでイッパイイッパイになっているのが、
我々殆どの大人ではないでしょうか。

もう、その人の持っている能力が発揮できなくなり、結果社会的にも行き詰ってしまいます。
あたかも パソコンがメモリー不足になって機能しなくなるように。

一方、身が軽く発想豊かな幼児の感性や身体能力を失わずに、
かつ上手く社会に適合して成長できた人は・・・・・・
そういう若者から世界的に活躍するアーティストやアストリート、活動家達が育つのでしょうね。

見方を変えるのです。
今、「天才」「名人」「達人」と呼ばれる人こそ、「究極の普通の人」、
「普通の能力」の持ち主と思われてる殆どの人の方が「機能不全の人」

だから、修行とは、「機能不全」の人が、「普通」に戻る道です。

その術が、日本文化に見出すことができるのです。
しかも、前述したとおり、武芸・遊芸(歌舞音曲など)・茶道・書道・絵画にいたるまで、
多義に渡っているので、その中から自分に合った修行を見つけることも可能です。